農泊地域における「食の好循環モデル」の構造設計

― データに基づく経済効果検証と政策的実装戦略 ―

第1章 外部環境の変化と農泊の再定義

我が国の農山漁村は、人口減少と高齢化の進行により、地域内消費が縮小する構造的局面にある。総務省「住民基本台帳人口移動報告」(2023年)によれば、地方圏から三大都市圏への人口流出は継続しており、地域内市場の縮小は避けられない状況にある[1]。

一方で、外部市場、とりわけインバウンド市場は明確な回復軌道にある。観光庁「訪日外国人消費動向調査(2023年暦年)」によれば、2023年の訪日外国人旅行消費額は約5.3兆円に達し、コロナ前水準を上回った[2]。旅行支出の内訳では、飲食費が22.6%を占めており、訪日客1人当たり旅行支出212,193円のうち約47,956円が「食」に充てられている[2]。

この約4.8万円という数値は、農泊地域にとって現実的かつ戦略的に取り込むべき市場である。

農泊は、農林水産省の推進施策のもと、令和6年度末時点で全国673地域に展開されている[3]。制度的基盤は既に整っている。しかし、農泊が地域所得向上に持続的に寄与している事例は限定的である。その理由は市場不足ではなく、「消費を循環させる構造設計」の不在にある。

農泊を観光施策の延長として捉えるのではなく、「地域資本形成政策」として再定義する必要がある。

第2章 農泊における構造的課題

現行の農泊施策では、「体験の実施件数」や「来訪者数」が成果指標とされることが多い。しかし、経済効果を規定するのは人数そのものではない。重要なのは以下の四要素である。

客単価

地域内捕捉率(来訪者支出のうち地域が獲得する割合)

地域内残存率(売上のうち域内に留まる割合)

継続購買率(再訪率・EC転換率)

たとえば、大規模イベントで来訪者が増えても、飲食や物販が域外資本に依存していれば、地域内所得は拡大しない。農泊の本質的課題は、体験実施ではなく、消費循環設計にある。

第3章 数値シミュレーションによる効果検証

3.1 単地域モデル

前提条件:
・訪日客1人当たり飲食支出:47,956円[2]
・追加訪日客数:1,000人/年

ケースA(保守)
捕捉率10%、残存率55%
→ 地域に残る所得:約264万円

ケースB(標準)
捕捉率20%、残存率55%
→ 地域に残る所得:約528万円

ケースC(強化)
捕捉率20%、残存率70%
→ 地域に残る所得:約671万円

同じ1,000人増加でも、設計次第で年間400万円以上の差が生じる。来訪者数ではなく、捕捉率と残存率の改善が決定的である。

3.2 全国展開効果

農泊地域数673地域[3]が同様の成果を達成した場合、

・保守シナリオ:約17.8億円
・強化シナリオ:約45.2億円

の地域内所得効果が生じる(飲食分のみ)。宿泊費や体験費、物販を含めれば、波及効果はさらに拡大する。

重要なのは、新規制度創設ではなく、既存673地域の高度化によって到達可能な規模である点である。

第4章 継続購買(EC)モデルの組込み

経済産業省「電子商取引に関する市場調査(令和6年度)」によれば、食品・飲料・酒類のBtoC-EC市場規模は約3.1兆円に達している[4]。農泊体験を入口にECへ接続することで、単発消費から継続消費へ転換できる。

追加来訪者1,000人のうち15%が年間1万円をEC購入した場合、年間150万円が地域売上として積み上がる。3年間継続すれば450万円となり、再投資原資となる。これはストック型収益であり、農泊を持続可能モデルへ転換する鍵となる。

第5章 食の好循環モデルの理論的整理

本稿では、好循環モデルを以下の四段階で定式化する。

① 新施策・来訪動機の創出
地域資源を再編集し、物語性と体験価値を付加する。経験経済論(Pine & Gilmore, 1999)は、消費が機能価値から意味価値へ移行していることを示す[5]。

② 来訪者増加・消費拡大
客単価と捕捉率を設計する。限定性や高付加価値化により単価を向上させる。

③ 地域知見の増加/新需要顕在化
来訪者属性、購買履歴、満足度をデータ化する。知識資本の蓄積がなければ改善は不可能である。

④ 施策改善/地域内外連携拡大
取得した知見を基に商品改良、価格最適化、販路拡張、EC連携を実施する。この改善が再び①へ接続することで循環が成立する。

循環は偶然ではなく、設計の結果である。

第6章 事業構築示唆

農泊を持続可能な経済モデルへ転換するためには、評価指標の転換が必要である。体験実施数や来訪者数ではなく、「消費捕捉率」「地域内残存率」「継続購買率」「再投資率」を主要KPIとすべきである。

673地域という既存基盤は、全国規模の政策実験場として機能し得る。横断的KPIを導入し、モデル地域から波及させる設計が求められる。

第7章 結論

農泊地域の本質的課題は来訪者不足ではない。消費が循環構造として設計されていないことが問題である。

訪日客1人当たり約4.8万円の飲食支出という具体的数値を起点に、捕捉率・残存率・継続購買率を高める設計を導入することで、農泊は補助依存型事業から循環型経済モデルへ進化する。

673地域という全国基盤が既に存在する今、必要なのは制度拡張ではなく、設計思想の高度化である。

参考文献

[1]総務省(2023)「住民基本台帳人口移動報告」
[2]観光庁(2024)「訪日外国人消費動向調査(2023年暦年)」
[3]農林水産省(2024)「農泊をめぐる状況について」
[4]経済産業省(2024)「電子商取引に関する市場調査」
[5]Pine, B.J. & Gilmore, J.H. (1999) The Experience Economy